『軽蔑』…だめんず故郷に帰る

本作の見どころとなるのは、やはり世間知らずのお坊ちゃま・カズが引き起こす短絡的な行動の数々で、これがタイトルに謳われている「軽蔑」に繋がっていくのだろうか。
要するにカズというキャラクターは徹底的に観客の共感をスポイルさせるように仕立てられており「もっと分別があれば‥」という彼への逆共感が本作のキモとでも言えます。
実家にいる時は両親や親戚への依存から抜け出せず、家を飛び出した先の新宿でもせいぜいチンピラどまりです。
そんな絵に描いたようなだめんずの男と、そんなダメ男を守るためなら自らの体を利用することも厭わない夜の女‥。
そんな世間からはみ出したアウトサイダーたちへの共感の視線で描かれた本作は、かつて一世を風靡したニュー・シネマ的なテイストを感じたりするが、それだけに物語にやや古めかしさを感じるのは否めないです。
本作の時代設定は明らかにされていないが、今風な携帯電話が登場することから現代であることは間違いないんです。
ところが原作は1992年に発表されており、この20年間の時間の流れによって、物語の賞味期限が過ぎてしまったという感じが拭えなかったです。

未来の後輩の入学試験を目撃

先日学校に行くとガラス張りの部屋で大学入試の面接試験が行われているのを見かけました。厳しい表情の先生方と緊張でいっぱいの面持ちな受験生が向かい合うその光景は数年前の自分の経験を思い出させるものでした。彼らの全員が合格することはありませんが縁あって先輩後輩となった時には何かしらのアドバイスをしてみたいものです。振り返れば私も意思をもって大学生になりましたが、4年間の中でいろいろと考えが変わったり様々な経験をしたりして就職や進学など大きな選択をしてきました。彼らにはこれから無数の選択、可能性があります。まだ何も知らないということは未熟なようにも見えてとても羨ましくも見えます。彼らそれぞれにとって最善の大学生活となるよう悔いのない選択をしてもらいたいです。

ちゃんと読み取ってね!!

私は通勤に、二種類のIC定期券を使っています。一つは財布に、もう一つはスマホの手帳型ケースに入れています。
後者の方は確実に読み取ってくれるのですが、前者の方はその時々で読み取ってくれたり、読み取ってくれなかったりします。

読み取ってくれない時は、財布から出してタッチします。
このIC定期券は、バスと地下鉄の両方で使います。
地下鉄では確実に読み取ってくれるのですが、バスでは読み取ってくれない時があります。
財布にはいろんなカードが入っているので、それが原因の一つかもしれません。

私の乗るバスは乗車時と降車時にタッチする必要があるのですが、不思議なもので乗車時に読み取ってくれるバスは、降車時も読み取ってくれるケースが多いです。
サクッと読み取ってくれるバスに乗った時は、少しうれしい気分がします。

全部が次に何をするかの布石

意味もなくブログ記事を投稿していることに気付く。

何のために情報を発信しているかというと

自分のためなんだよね。


自分のため、それは自分がどうなるため?

それをよく考えれば、やるべきことは絞り込めるよね。


そうなんだよね。

WIN-WINな未来のために記事は投稿すべきです。

ボランティアしたら、たかりに喜ばれるだけだあも

ヒバリの心

スピッツの歌にヒバリの心、というのがあった、はず。

タイトルは、違ったかな?

ヒバリの気持ちだっけ?


ま、タイトルはどうでもいいんだけど、おいおい(;^ω^)

その歌の描く情景が好きで。

広い畑で見通しがいいところに行くと、その歌を思い浮かべる。


子どものころには、そんなところに行くと

いつも雲雀が高く舞って歌っていたからね


子どもの気持ちに戻してくれる、明るい歌なのだ。

草野君の意図は違ったのかもだけど、僕にはそういう歌。

好みだ。

マー君のひじと手首

マー君、手首の張りと痛みで故障者リスト

多分、昨年痛めた肘の問題だよね。

あれをかばってスナップで投げていたのがよくないのだと思う。

というか、そうせざるを得ないほど日所の状態はよくはない。


一か八か、人体の再建手術を受けるしかないのだろうなあ。

日本で投げていれば長く持つピッチャーが大リーグに行くとつぶれる。

それはつまり、高校時代に酷使しすぎてつぶしているから、中5日でしか長く投げられない体になっているということで。


それを考えて割り引いて契約しないとね、大リーグの方でも。